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スピリチュアルについて書いてます

オウム真理教 死刑執行

 

7月6日

 

オウム真理教の死刑囚 7人の死刑が執行された

平成が終わろうとしている今

平成の大事件にケジメをつける意味なのか

突然執行された

 

私は、昔

オウム真理教についての記事を書いた

 

 

bakuhatujinnsei.hatenablog.com

 

 

オウム真理教の存在が

日本人の宗教離れを加速させたのは

間違いない

 

そのせい?おかげ?

と言うべきなのか

いまは、スピリチュアル界が盛況だ

 

本来なら、宗教に行ったであろう人たちが

宗教は・・怪しい、危険

オウム真理教みたいなのでしょ?と

宗教を嫌厭するようになり

救われない心を求めて、スピリチュアルに

流れてきた

 

いまのスピリチュアル・ムーブメントの

遠因になっているのは、オウム真理教にあると

私は思っている

 

いまさら、オウム真理教のやった事件について

ここで書くつもりはない

 

ただ、オウム真理教をバカにした

そんな人たちこそが

オウム真理教をある意味作り出していたのではないか

 

多数派に属することが正義の

日本において、少数派に属してしまった

行き場のない人間

その受け皿にオウム真理教はなっていたように

思えて仕方がないのだ

(だからって、事件を肯定するつもりはないよ)

 

世間の人間は、いまでも

オウム真理教の後継団体のアーレフや光の輪に

対して、恐怖を抱いている

 

この恐怖の正体というのは

また危険なことをやるのではないかという

モノであると同時に

得体のしれない、気持ち悪いヤツらという

思いも一緒に抱え込んでいる

 

 

なぜ、アーレフや光の輪を危険な組織と

位置づけるのか

それよりも、彼らがどのような

考えをもっているのか、彼らに対して

理解を示すほうが、よっぽど良いのではないか

 

危ないヤツらだから、近づかない

 

こうった考えこそが、オウム真理教

暴走へと導いた根源ではないのか?

 

なぜ、彼らのことを理解しようとしないのか

 

果たして、本当にいまでも

テロ行為をやるような、危険な組織なのか

 

こちらから、歩み寄ろうという発想はないのか?

 

あいつらは、頭のおかしいヤツらなんだよ!!と

何も、理解しないで

そういった思い込みだけで、決めつけて良いものなのか?

 

障がい者やLGBTなどには

理解を示そうという動きは、活発である

 

それなのに宗教や犯罪者に対してへの

理解を深めようという動きはない

 

これは、ある意味不思議だ